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最初の人類は「原始共同体」の時代にあり、群居し移動する生活をし、原始的な道具として石塊や石片や木の棒を共同で製作し使用していた。『管子・君臣篇』:「獣の処に群居し、力を以って相い征つ」。「原始共同体」時代の人の主な仕事は、野菜や野生の果物を採集し、また捕捉しやすい禽獣を猟して飢をしのぐことだった。当時道具が原始的なために、原始人はいつも猛獣の襲来におびえ、また獲得できた食物も少なく、そのために飢餓にさらされていた。原始人は毒蛇や猛獣と闘争したり、部落間に戦争が起こったとき、常に多くの外傷を負っていた。このような経験により粘土や樹葉や草の茎などを、傷口に塗ったり包んだりする方法が生まれたと思われる。やがて人々は若干の外用薬を発明した。これが外治法の起源である。

原始人は文化の発展に寄与し、装飾品の製作や着用(fashion)、舞踏(dance)・スポーツなどに実践したわけである。原始人はときに狩猟の前後に、獣皮をまとい羽毛を頭にいただいて、動物の跳躍と飛翔を真似て祝福し成功を祝った。『呂氏春秋・古楽篇』:「昔陶唐(尭の年号)の始、陰多く滞伏してう積し、水道壅塞、その原を行かず、民の気郁閼して滞着す。筋骨秘縮して達せず。故に舞を為して以てこれを宣導す」。後にこうした身体運動は次第に発展して医療の方法となり、「導引」と称した。
唐の王冰氏の注釈には、「導引は、筋骨を揺(ゆ)るがし、支節を動かすを謂う。按は皮肉を抑え按ずるを謂う。きょうとは手足を捷(はや)く挙(あ)ぐるを謂う」と述べていた。広義の導引は、自己推拿(self-tuina
therapy)・体操・調息(吐納法:呼吸法、breathing
exercise)を含み、狭義には、自己推拿や調息に対する身体運動である。導引法は確かに推拿の一つの組成部分であり、推拿も導引法の組成部分の1つであることが理解できる。
参考文献:
@鈴木圓蔵:中国古代の体育・スポーツ. in
現代体育・スポーツ大系・第2巻ー体育・スポーツの歴史(浅見俊雄、他編), p.30-37, 講談社, 1984,
東京.
A李 強:中国推拿医学史略。鍼灸OSAKA, 12(4):88-99, 1997.
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