上海推拿三大流派の中の一指禅(いっしぜん)推拿

今回は名を馳せている上海推拿三大流派の中の一指禅(いっしぜん)推拿とその代表手技である、最も有名な一指禅推法(The Thumb-Pushing Within Meditation)を紹介する。

まず、難解そうな「一指禅」ということばを解釈してみよう。 「一指禅」はもともと仏教の禅宗門派の用語であり、「万物帰一」という意味を指している。 『景徳伝灯録』によれば、宋代において倶胝(ぐち)という和尚が天龍という老師に仏教の教義を訊ねた時、 天龍和尚は無言で片手の親指を立てた。倶胝和尚はそれを見て大徹大悟(仏教用語、 大悟して何等の煩悩迷妄を残さぬこと、悟りきること)に到った。その後、 他人に禅の教義を求められた場合、倶胝和尚も決って無言で親指を立てて伝教した、と伝えられている。 倶胝和尚は入寂(仏教用語、仏の死のこと)に先立ち、「吾天龍に一指頭禅を得て、 一生喫着(飯べることと着衣のこと)尽きず」と言い残した。従って、一指禅推拿の名称の由来は、正に「万物帰一」の意味を込めて、 一指禅推拿が衆多の推拿の手技のもとである、なお衆多の推拿手技が親指というひとつ指から変化 してきたものであることを強調する意味にある。

一指禅推拿の歴史を辿ってみると、清朝の同治(1862-1874)年代に、 当時の最高権力者であった慈禧太后の「御医」を務めていた河南省出身の少林武術高手である李鑑臣が 江蘇省揚州?江出身の丁鳳山(道名、原名丁水春、1842-1915)氏に宮廷内秘伝の養生術である 一指禅推拿を教えたことにより、それまで一部の皇親貴族にしか知られていなかった 一指禅推拿が民間に広く流行するようになったと伝えられている。丁鳳山氏は民間医として、 「京都内城太医院始創」「慈禧太后旨命」となった一指禅推拿を、王松山、丁樹山、銭福卿、沈西聖、 翁瑞午など数人内弟子に伝授した。そのなかの数人がさらに各自の内弟子に秘伝の形式で教えた。 丁鳳山氏の孫弟子にあたる、家業では「六世医為り」の朱春霆氏は、1956年に 上海中医学院付属推拿学校校長を出任して以来、王松山、銭福卿、沈西聖、王百川などの 一指禅推拿名師を招いて教授の職を与え、新しい一代推拿師の教育に教鞭をとらせた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です